「私にはできない」と思いこむことを、やめてみる
― 思い込みの壁をこえるとき ―
「できない」という言葉は、子どもの頃にわたしに刷り込まれた呪文のようなものだった。
でも、大人になった今気づいたのは――それはただの“思い込み”だったということ。
その壁を壊した先には、思いがけない景色が広がっていた。
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親からの否定的な言葉
わたしの親は、なぜだかわたしにいつも否定的なことばを投げかけていた。
「あなたにはできないわよ」
「センスがないのね」
「向いてないんじゃない」
小さい頃から、こんな言葉を何度も聞かされてきた。
繰り返し刷り込まれるうちに、わたしは信じてしまった。
――わたしは、なにをやってもうまくできない。
そう思い込むようになった。
そしてそれは、ある意味で「楽」でもあった。
どうせできないから、やらない。
勉強も、運動も。
わたしは「できない人間」だから。
そう信じていたわたしは、実際になにもできなかった。
そしてそのことが、とても怖かった。
親以外の大人と話す機会もほとんどないまま、中学生になった。
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中学の先生との出会い
入学してすぐ、担任の先生がそんなわたしを気にかけてくれた。
ちょっとしたことで声をかけてくれたり、ほめてくれたり。
そんな経験は初めてで、胸がじんわり温かくなった。
先生は数学を担当していて、授業もユーモアを交えて進めてくれた。
わたしは初めて「数学って楽しい」と思い、少しずつ勉強するようになった。
すると、わからなかったことがどんどん理解できて、テストの点も上がっていった。
なにより嬉しかったのは、先生が自分のことのように喜んでくれたことだった。
そのとき気づいた。
――「できない」という思い込みを外せば、できることは意外に多いのかもしれない。
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「できない」の外にある景色
運動でも同じことが起きた。
ずっと「鈍臭い」「運動神経がない」と言われ続けてきたから、そう思い込んでいた。
けれど、基礎練習や反復練習をコツコツ重ねていくうちに――
気づけば、人並みかそれ以上のパフォーマンスを出せるようになっていた。
生まれもった能力は人それぞれ。
でも、地道に努力を積み重ねれば、ある程度までは必ず行ける。
そのことに気づけたのは、大きな財産になった。
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大人になった今
そして大人になったいま、わたしはまた新しいスポーツに挑戦している。
なかなか上達せず、「やっぱりできないのかも…」と心が揺らぐこともある。
そんなとき、コーチが言ってくれた。
人は鍛錬を重ねていけば、必ずできるようになる。何でも。
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「できない」という思い込みの壁は、自分で壊していける。
そしてその壁の向こうには、見たことのない景色が広がっている。
If you keep training, you will always improve. In anything.
(人は鍛錬を重ねていけば、必ずできるようになる。何でも。)

